朝日新聞朝刊 1999.2.6 感染症学と精神医学は縁遠いと思われがちだが、脳も感染症に侵されるし、疫病が人々をパニックに陥れるという点からも無関係ではない。
精神病院に入院すると梅毒検査が必須(ひっす)の時代があった。その梅毒がほぼ克服され、かわりにエイズ脳症が注目され始めた。精神医学の領域でも、感染症の恐怖を再確認する必要に迫られている。
人類の英知は感染症は次々に克服してきたつもりだったが、二十世紀も末になってウイルスや細菌の逆襲に遭い、感染症パニックの様相すら呈している。医学の進歩は、遺伝子治療ができるまでに目覚ましいとはいえ、未だ疫病の克服には至っていない。
エイズをめぐるパニックを描いた映画は多い。『運命の瞬間(とき)』(1993年)は、「そしてエイズはまん延した」というサブタイトルの通り、政府や血液製剤会社の取り組みの遅れをドキュメンタリー風に描いている。エイズウィルスの発見を巡って、米国のギャロ博士とフランスのモンタニエ博士との壮絶な先陣争いも巧みに描き出されている。
『フィラデルフィア』(93年)では、トム・ハンクスが、エイズにかかったために法律事務所を解雇されて、自ら原告となって法廷闘争に立ち上がる弁護士を演じている。法の守り手であるはずの司法関係者たちが、法を曲げてでもエイズを忌避する様子に、エイズ患者や同性愛者へのすさまじい差別が描き出されていた。
血液製剤によるエイズが確認され、世間が騒然となっていたころ、分裂病の患者さんが「自分の病気が、この世で一番大変だと思っていたけど、エイズに比べたらまだましだと思います」と語ってくれたのには驚いた。
難治性でしかも感染する病気は、怖がられる。エイズで死の恐怖と闘い、偏見や差別に苦悩する人々に対しては、心理療法家がねばり強くサポートを続けている。魂は救えても、肉体は救えない現実が悲しいままではあるが。
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