朝日新聞朝刊 1999.5.8
癌(がん)細胞を破壊する遺伝子治療よりも、癌細胞のないクローン人間に取り換えた方が簡単かも知れない。肉体的個体が全く同一のクローン羊ドリーを誕生させたバイオテクノロジーの発展は、そう思わせる怖さも秘めている。 映画『ブラジルから来た少年』(1978年)は、グレゴリー・ペック演ずる悪魔の医者が南米に潜伏し、ナチス再建をもくろんでヒトラーのクローンをつくろうという作品だった。一人の人間はこの世には一回しか存在しない。過去の人間がよみがえるのは自然の摂理に反する。米国ではクローン人間の研究禁止令が出ている。 しかし、「体が幾つあっても足りない」とばやく現代のサラリーマンはときどき、会社にいってくれる「もう一人の自分」を思い描く。マイケル・キートンが建築現場の監督を演じる『クローンズ』(96年)は、そんな現代人の夢を描いた作品だ。 働きに出たい奥さんの希望をかなえるため、キートンはクローンを作ってもらう。それでも家事や育児は大変だとわかって、さらに二番目のクローンを作り、自分はヨットやゴルフに出かける。ところが、クローン二人も自分たちが忙しいことに気づいて、クローンのクローンを作ってしまう。計四人の「私」が一人であることを装うのに苦労するドタバタ劇だった。 本物はクローンにセックス禁止令を出すが、奥さんは同じ夫と思って枕(まくら)をともにする。クローンといえども自分ではないというのは、人間の尊厳にかかわる深刻な問題だ。 二十歳で特攻隊に散った息子が今も生きていたらという思いで悲嘆の毎日を送っている老婆がいる。時が消せない悲しみだ。心の病には、最愛の人と似ている人を見つけてそう信じたり、自分が何人にも分化していると思ったりする妄想がある。クローン人間が与えるストレスに比べると、この病にいかほどの脅威があると言えるだろうか。
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