朝日新聞朝刊 1999.10.23
世界的著名人で躁うつ病だとみられる人は、三百人を超えて数えられる。しかし、精神病の著名人となると、残念ながらまれだ。 問わず語りに野球、サッカー、書道、珠算などで活躍した経験を語るときの精神病の人たちの目は輝いている。彼らも病気にかかっていないころには、輝いた人生を歩んでいたのだと思うと、発病はつくづく個人にとって最大の悲劇だったんだなと、重いものがのしかかってくる。 世界的なピアニスト、デビッド・ヘルフゴットの半生を再現したオーストラリア映画『シャイン』(1996年)は、精神病を扱った作品としては出色だった。主演のジェフリー・ラッシュはこの作品でオスカーを獲得した。 『カッコーの巣の上で』(75年)のように、精神病院を戯画化、風刺化して非現実的な奇異さを強調した作品とは比べものにならない。 若きヘルフゴットは、家族が離ればなれに暮らすのを嫌う厳格な父親を振りきって、オーストラリアからロンドン王立音楽学校に留学する。コンクールでラフマニノフの難曲を演奏し終えたとたん、緊張の糸が切れ発病する。ながい入院生活を終え、孤独な暮らしが続く。早口で独り言を繰り返しながら、街のワインバーでピアノを弾き始めるあたりから、再生、復活を予感させるようになる。 彼の才能を理解した星占い師の女性と結婚し、本格的な演奏会を開くなど、活動を再開する。太陽の光を体いっぱいに浴びて歓喜の叫びをあげながら繰り返し飛び上がる場面は、彼が発病前の輝きを取り戻したことを象徴していた。だから『シャイン』だ。 モデルとなったヘルフゴットは今も健在で、世界各地を回って演奏を続けている。 著名だろうと無名だろうと、精神病を乗り越えたという体験そのものが貴重だ。十年、二十年という長い闘病を続ける人たちに、希望をもたらす作品だった。