朝日新聞朝刊 1999.11.20
最近、リベンジという言葉をよく聞く。報復という意味だ。報復殺人と言えば恐ろしい行為のようだが、原因があって、その仕返しをするという意味では、分かりやすい犯罪だ。いかに常軌を逸した残虐な行為であっても、計画的な犯罪だけに、責任能力がなかったという判決は、例外中の例外のようだ。 映画『ケープ・フィアー』(1991年)は、何度もこのコラムに登場したロバート・デニーロ主演の鬼気迫る復しゅうものだ。婦女暴行事件で逮捕された男が、弁護士が自分の情状面で有利に働くはずの証拠を提示しなかったとして恨みを持ち、出所後にその弁護士一家に復しゅうをする話だった。男は獄中で体を鍛え、読書を通じて復しゅうのために頭脳も磨く。 六一年にも同題の作品があり、ロバート・ミッチャムが復しゅう鬼を演じ、グレゴリー・ペックに迫った。日本の敵討ちものを含めて、復しゅうを題材にした映画は多い。 復しゅうの計画性に対して、ごくまれにしか起きないが、精神障害者の「犯罪」の特徴は、理解できる動機が欠如していることだ。根拠のないしっと心(妄想)に駆られることはあるが、保険金目当てなどなく、地位や名誉にからむ動機とも無縁だ。 精神病の人の攻撃性は、圧倒的に自己に向かっていて、気分病の人の一五%、精神病の人の一〇%が長い経過中に自殺すると報告されている。 復しゅうは、自己愛やプライドの傷付きが糸口になることもある。陰謀や策謀でわなにはめられ、報復に出ることもある。 健常者の復しゅう心にひそむ攻撃性についても、二十一世紀にはメンタルヘルスの課題となってくるに違いない。すでに欧米では、職場におけるいじめが、生産性を著しく減少させる要因として注目されはじめている。